Tuesday, December 20, 2016

Pilates, my thought

私がPilates というものに出会ったのは2012年の4月。
あっという間に4年と8ヵ月が経ちました。
それにしても最初の1年間は、とにかくわからないことばかりで、何一つまともにできない状態でした。
それでも2013年の6月ごろから小さな規模で教えることを始めました。
教えることを迷っていた私に、『教えることでしか学べないこともある』と言ってくれた同期の言葉が無かったら、いまだに自分のためだけにピラティスを続けていたんだと思います。
身体をデザインしたい と、自分自身のために始めたことが仕事になって3年半。
『石の上にも三年』と言いますが、何事も3年くらい続けると、やっとそのものの入り口から少し中へ入っていけるようです。

私は幸運にも、ピラティス初心者、しかも中高年のお客様ばかりを教えることからピラティス指導者としての道をスタートできました。
何もわからない人に、楽しんで継続してもらえるように教えることほど難しいことはないのです。
最初から、ピラティス経験者ばかりのクラスを持てていたら、私は今のような形でピラティスを指導することはできなかったと思います。
更に、グループレッスンの指導にようやく慣れて間もなくパーソナル専門のスタジオでのお仕事を頂けたのも大きかったです。
新しい指導方法を練習するのに辛抱強く付き合ってくれる家族や、私の成長を見守って下さるスタジオの上司や、やさしいお客様たちにも恵まれて、この3年半でずいぶんと多くのことを経験させて頂いて参りました。


人は自分の持っていないものは与えられないもので、ある程度私自身の身体が変わらないと真実にはお伝えできないピラティスメソッドも多々あり、そのあたりも今後はお届けしていけるようにと、日々の最低限のメンテナンスや、基礎反復練習は欠かせません。
もともと癖の強い頑固な身体と頭なので、サボっているとすぐにまた元の木阿弥に…というわけなのです。

私は今の私がお伝えできることは惜しみなくお客様にお伝えしておりますが、技術も高く知識も深く広い先輩方は星の数ほどいらっしゃいます。

では、私がこの仕事を続ける意味はなんだろう?そう考えたときに、やはり『私だからこそできるセッションというものを見つけていきたいのだ』というのが答えのように思います。

私は、ピラティスは身体も魂もコントロールの中で自由にするという奥深く美しいartだと捉えています。
常に流動する形のないもの(魂)をこの世界を体験するために健在するデヴァイス(身体)の中でどう磨いていくのか。

静と動が混在し、その中庸の、そのもっと先のそういう概念にさえ形容されない領域があるのではないか…。
そんなことを考え出すと、世界の美醜も生死も何もかもが愛おしく永遠に思えて、自分自身が器(身体)から溢れ出し、空間に流れ出して宇宙に広がっていくような気がする時があります。


今、ピラティスの他に『これだ』と思えるものに出会い、お稽古に通っています。
ピラティスに通じるものが大いにあり、これを体得し(何年も先でしょうが)、ピラティスに活かすことができれば、とてもいいものが生まれると信じています。
もちろん、今の私にできる範囲で取り入れ始めてはいますが、また機会があればみなさんにもお伝えしていきたいと思っています。

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