そう言ったのは朔太郎先生だった。
あれはいつだったろうか。
季節が思い出せない、中学校1年の平凡なあるお昼休み。
教科書に載っていた朔太郎さんが旅への憧れを綴った詩に心がざわざわして、もっと彼の作品に触れてみたくなって、図書室で見つけた『月に吠える』を自分の席で読んでいた。
その序文を読み始めてすぐに、教室の最前列、黒板の目の前の席に座ったまま、世界の空気が止まってしまったような感覚になった。
あれはいつだったろうか。
季節が思い出せない、中学校1年の平凡なあるお昼休み。
教科書に載っていた朔太郎さんが旅への憧れを綴った詩に心がざわざわして、もっと彼の作品に触れてみたくなって、図書室で見つけた『月に吠える』を自分の席で読んでいた。
その序文を読み始めてすぐに、教室の最前列、黒板の目の前の席に座ったまま、世界の空気が止まってしまったような感覚になった。
たったの13年の子供時代の中で抱き続けてきた疑問や、恐れや葛藤のようなものへの答えを頂いた、やっとわかってもらえた、そんな感情が私の心に満ちていった。
私の悦びとは裏腹にお昼休みは無情に過ぎて、数学の先生が授業を始めたけれど、私は教科書で詩集を隠しながら、その序文をそっくりそのままノートに書き写す作業に没頭した。
この瞬間を逃したら、何か自分にとってすごく大切なものを掴み損ねてしまう気がしたから。
私の悦びとは裏腹にお昼休みは無情に過ぎて、数学の先生が授業を始めたけれど、私は教科書で詩集を隠しながら、その序文をそっくりそのままノートに書き写す作業に没頭した。
この瞬間を逃したら、何か自分にとってすごく大切なものを掴み損ねてしまう気がしたから。
熱くたぎった湯が冷めてしまう前に身体に取り込むように、あの時あの瞬間にしかその行為は成し得なかった。
きっと先生は、私の真剣さを感じて見逃してくれていたんだと思う。
それ以来、理不尽で退屈で創造性が少しづつ壊死していく様な学校生活の合間に、朔太郎の言葉を読み返しては勇気をもらい、生徒手帳の片隅にも写しておき、お守りのようにいつでも見られるようにしていた。
この一節に、青春時代の私は何度救われたことだろう。
それ以来、理不尽で退屈で創造性が少しづつ壊死していく様な学校生活の合間に、朔太郎の言葉を読み返しては勇気をもらい、生徒手帳の片隅にも写しておき、お守りのようにいつでも見られるようにしていた。
この一節に、青春時代の私は何度救われたことだろう。
孤独を大切にできる人が、私は好き。
孤独に喰われてしまってはどうしようもないけれど、孤独自体は敵ではない。
むしろ孤独はいい。
苦しければ苦しいほど、いい。
悩みは深ければ深いほど、いい。
真実に心地よい孤独は魂を鍛え、創造を助ける。
まさに、陰陽。
この広い世界は、一人一人の孤独など砂糖菓子のようにあっさりと溶かしてくれる。
しかし実際のところ、そもそもこの世界と私たちのからだを構成しているものは同じelementsなのだから、本当にひとりぼっちということは、決して無い。
海も宙も、雨や光の梯子でつながっているし、木々の根はこの星の深い場所から水を吸い上げて空に放つ。その水の最奥には、燃え盛る炎が溶けている。
私たちはその偉大な歯車の一つでしかないのだから、大いなる流れに抗えば自ずと目には見えない力の流れは死んでしまう。
懐かしい友に会うような気持ちで、物事を観ることが出来ますように。
もしこれが最後の笑顔でも後悔しないように。
明るいものは、陰があるからこそ明るく見える。
私は陰の美しさを愛でる心を忘れない生き方をしたい。
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